
興信所とは、個人の依頼によって尾行や聞き込みなどの調査を行う、いわば探偵業を営む者の所属する事務所を指します。
離婚関連で興信所を利用する場合、配偶者の行動調査を興信所に依頼し、配偶者現場を突き止めて離婚の原因として提出する、という方法が一般的です。
また、離婚をするときに配偶者が失踪しており、署名押印をして貰えない時にも、興信所を利用して配偶者の居場所を見つける、ということがあります。
また、配偶者に借金などがないか、過去に不正を犯していないか調査するときにも、興信所が利用されます。
ちなみに、興信所は警察の管轄ではなく、私立で営まれるものであるため、調査してもらうためには料金を支払う必要があります。
著者の姿勢
本のネタは面白い。
だが、著者はライターではないため、文章に面白みがない。
しかし、著者が遺体に対して持っている「姿勢」がとてもいい。
正義感を語るわけでもなく、最高の仕事というわけでもない。それでいて、しっかりとご遺体に正面から向き合っている。
その「清潔感のある姿勢」がこの本の支えになっていると思う。覗き見趣味の本というより、このような仕事に携わっている人たちがどのような姿勢をもっているかを学ぶ本としても有意義だと思う。
「おくりびと」三冊はどれも味わいが違う
まだ映画「おくりびと」を見ていないのに、
これで関連書籍3冊目。
もっくんが、インタビューなどで、
『納棺夫日記』とならび、
この本を読んで、その世界にはまることに
なったという。
最初に読んだ、さそうあきら『おくりびと』が、
映画のマンガ化だとしたら、
『納棺夫日記』は原作、
この『死体とご遺体』は、
映画にとっては原作を補う、
といった位置づけになるだろうか。
わけあって、
実入りのよい仕事をしなければならなくなった
著者が、たまたま選んだ仕事が「湯灌師」。
とにかく、亡くなった方を、
丁寧に弔うことが、そのまま、
生きている人間に対して丁寧に接することだ、
ということが、リアルに感じられてよかった。
軽めの筆致ながら、
残るものは、ずしんとしたものだ。
「職業に貴賎はない」を実感する一冊
亡くなった方の身体を、葬儀に際し洗い清め、死に化粧を施す…「湯灌」という仕事に対し抱くネガティブなイメージを、著者は常に読者よりも先に差し出してきます。「こう思うでしょう?確かにそうです、でも違った見方をするとこうなんですよ」という感じです。著者はあくまでビジネスとして湯灌に携わっていて、そこには悲壮感や使命感はなく、時には笑いさえ織り交ざります。亡くなった方の死出の旅への準備をしながら、ご遺族の心の準備のお手伝いをするお仕事。湯灌のイメージは、最後にはそんなふうに変わりました。
タメになるけど面白みはない「平凡社」らしい作品。そこがいいのだが…
著者の湯灌師としての経験、その経験から得られていく湯灌師としての矜持、死生観が“淡々”と綴られている。文章も内容も淡々としている。読み終わった私は、そのとおりだよなぁと“静かに”頷き、そして、もし自分や身内が死んだら、こういう人の世話になりたいなぁと思ったのだが、それ以外の感想が湧かなかった。
「湯灌師としての著者」が書いていることが正しくて、否定できるようなことがなかったからという理由のような気もするし、著者の思ったこと考えたことが、経験に基づくものであり重たいということは理解できるが、それが私の想像の範囲内だったからという理由のような気もする。
死者に対する敬意。「死」を扱う職業への偏見。考えさせられることはたくさんあってタメになる。一度は読んでみたほうがよい本だと思うが、面白みのある本ではない。
この題材であればもっと扇情的(裏話的)なエピソードの紹介を著者に要求する出版社は多いだろう。だが、そうしないのが平凡社の平凡社たる所以か…。「死」を真面目に考えたい人向きの本といえる。
死について正面から考えさせられる本
普段読むジャンルの本ではないのだが、日経ビジネスの書評欄で取り上げられていたので読んでみた。現役の湯灌師が自らの湯灌家業と、湯灌家業を続けながら考える死生観を書いている。「湯灌」とは、人が亡くなったときに最後に洗い清め、葬式に向けて身支度をする行事のことであるが、僕自身が湯灌という慣習とは縁なく来ているためか、葬儀屋のほかに湯灌師という職業があることすら知らなかった。この本を読んで、いわば人間の静脈産業たる職業について初めてきちんとした理解を得ることができた。現代資本主義においては何でもそうだが、誕生するときは尊いものとして扱われる一方で、死ぬときはなるべく人目に触れぬようにひっそりと処理される。一昔前までは生死とも同等の価値を持つものとして扱われきたはずで、それが変質したのはいつ頃からなのだろうか。昨今の子供による殺人事件の多発などを見るに、「死」という事象が軽薄化してしまっているのは、このような死の儀式すらマニュアルに沿って処理されるようになっていることと無縁ではあるまい。残念ながら、ではどうすればよいかというよい処方箋が思いつくわけではないが、せめて自分が死んだときには、筆者のような湯灌師によって心を込めて最後の身支度をしてもらいたいと思った。